2016年5月28日土曜日

*コンセプト 日和見主義だけど月見主義*

ヒヨリブロートは、日本語の「日和」という言葉と、ドイツ語でパンという意味の「ブロート」を組み合わせた名前です。
誰かの〇〇日和を、ヒヨリブロートのパンが彩るようになるといいなぁという希望を込めた名前です。
日和見主義、なんて言葉はありますが、実はわたくし月見主義。月を見ると、なぜだか心が穏やかになって、力が湧いてくる気がします。
そこで、月に沿って生きてみようと思っています。
新月から満月を超えて5日間は、パンを作ります。
満月を超えて5日目から新月は、旅をして食材や生産者さんを探します。
地球のリズムに呼応して、月が満ちていき、明るく輝いている間は、パンを作るアウトプットの時間に。
徐々に静寂に包まれる新月への時間は、新しい出会いをインプットする時間に。
少し、わかりにくい営業日になることでしょう。でも、どうかお許しくださいね。すべてはお月さまのせい。
話は変わりますが、私は絵本が大好き。こんなスタイルに決めたせいでしょうか。この愛すべき本を突然読みたくなって、本屋に走りました。
縦長の絵本なのですが、なぜか、空がとても広く、どこまでも続くように感じられます。そこに見えないものが、見える。
パンを食べて、おいしいって感じるときに、その先にいろんな人の顔や思いが伝わる。この絵本みたいなパンを焼きたいなぁと思うのです。

*コンセプト 旅するパン屋*

ヒヨリブロートのコンセプトの一つが、
「旅するパン屋」
一カ月のうち、20日はパンを作り、10日は旅人になります。
というのも、その昔ドイツを旅していた時のこと、
スイスとの国境近くのパン屋を訪れたときのことでした。
日本のパンについて聞かれ、あーじゃこーじゃお話ししていて、オーナーが一番驚いていたのが、ほとんどの材料が輸入で補われているということでした。
「うちのパンの材料のほとんどが50キロ圏内でとれてるんじゃないかな。みんな誰が作ってるのかわかるよ。」
それは、大きな衝撃でした。
小麦粉は、袋に入って売られているもの。
牛乳は紙パックで、卵に鳥の羽が付いていることなんてありえない。
これを不自然なことだなんて考えたこともなかったのですから。
なんて豊かなんだろうと思ったものです。
さて、私には何ができるだろう。
一気にすべては難しいでしょう。
でも、少しづつ顔のわかる方から材料を仕入れて、それぞれの生産者の気持ちものせてパンを焼きたい。
その結果が、ひと月に10日、自ら生産者に会いに行く旅に出るスタイルでした。
これは余談ですが、ヒヨリブロートのロゴ、何か見たことある気がしませんか?
実はこれパスポートの出入国の時に押されるハンコがイメージ。
よーく見ると、台紙の細かな模様まで再現されています。
海外のものを使うにしても、いつかは自分の目で見に行って、選んで帰ってきたいなぁと思っています。
私の旅するパン屋のイメージを、素晴らしいデザインにしてくれたのは、高校の同級生で大事な友人で、、、これはまた別の話。またの機会にお話ししましょう。
ヒヨリブロートの歴史に各地の生産者さんと交わした会話が、パスポートのスタンプのように、だんだん増えてたくさんの記憶で詰まったものにしていきたいと思っています。

2016年5月24日火曜日

*イベント よかちょろ~新緑の候~*

5月21日、22日とお隣、篠山市の晩めし屋よかちょろにて、イベントに参加してまいりました。
よかちょろ店主の角田さんが料理を
音楽(レコード)のチョイスを桂さんが、
ワインのセレクトを東京から増田さん、大野さん、
そしてパンを私ヒヨリブロートが担当。
それぞれが考える新緑を8種類ずつ持ち寄り、お客さんと一緒にどれがどれと合うか、、、なんて答え合わせをする企画でした。
店内には初夏らしい、芽吹きのパワーを持った、暑くてからっとした風が吹き抜け、素晴らしい空気を作っていました。
さて、私もここで答え合わせをしておくことにします。
*杏
 アプリコットの季節が間もなくやってきます。
その甘酸っぱい味は初夏にぴったり。
今回は、ドライとコンポートの2種類を混ぜ込み、
ハイビスカスとローズヒップのハーブティー、
ラム酒で漬け込んだレーズンとともにフルーツたっぷりのパンに仕上げました。
鹿肉が料理で出ていたのですが、これとの相性がバツグン。
*緑茶
 新茶の季節。まさに新緑そのもの。
小麦粉の一部をお湯で練って、アルファ化させて作る湯種の製法を使いました。
香りと甘味を引き出したのは島根県津和野の日本酒、初陣の酒粕。
むちっとした生地に緑茶の香りが閉じ込められて、きりっとした白ワインによく合った。が、わたくし、アルコール耐性が弱すぎ、せっかくの名前を失念。
増田さん、ハーブのかおる白なんでしたっけ。。。
*パンダ豆
 5月の季語の一つが豆飯。
もちろんこれはグリーンピースの豆ごはんのことなんですが、
私なりの解釈を。
生地は緑茶のパンと同じものを使用し、少し甘く炊いたパンダ豆をたっぷり。
パンダ豆というのは、その名のとおり、パンダのように、白と黒がかわいい模様の豆で、味はとても上品で口の中で、さらさらとほどけていくこしあんにしても間違いなくおいしいお豆。
これは、少し表面がカリッとなるまでトーストして食べるのがおすすめ。バターもよく合います。
*そば粉
 春と言えば、山菜。山菜と言えば、、、そば。
そんな単純な発想から生まれたパン。
大きく焼いて、香ばしい皮の香りを感じてもらえていたら、いいなと思うのです。
ソバは、常陸秋そばを流山すず季の大将にひいてもらったものを。
粉の状態で、香りが全く違うのです。なかなか使う機会を持てなかったこの粉を使えた今回は、大きな一歩でした。
しかし、次回への課題も生まれました。
なんせ、捏ねているときが一番良い香り。もったいない。
次は、捏ねないパンにしてみることが一つ。もう一つは、粒のまま入れてみること。さらには粗びきも使ってみること。
こんな妄想がすでに始まっています。
*にがり
 そう、お豆腐を固めるあれです。
にがりは海のミネラルの濃縮液そのもの。
島根の父と思っている、荊尾さんが作った藻塩とそのにがりでバゲットを作りました。
海藻、あらめの出汁もきいているのでしょう。
噛みしめるほどに、うま味が感じられるパンになりました。
*卯の花
 実は、卯の花って5月の季語なのです。
ユキノシタ科ウツギ属の低木。
ユキノシタの名のとおり、真っ白い花が覆い、その下に緑の葉が茂ります。
が、私は花より団子ですから、卯の花は花よりおからです。
おからをたっぷり練りこんで、どんなパンにしようか。。。
考えた結果が、ブリオッシュでした。
卵とバターをたっぷり使った生地は、おからのおかげか、
口どけが素晴らしく、いくらでも食べられます。
*チャバタ
 これは、どんな料理ともよく合うという観点で。
しっとりとして、ポコポコとあいた内層は、ソースをすくうにも、何かをサンドするにもぴったり。
 北海道小麦のキタノカオリを使用することで、イタリアのパンがもちっと仕上がります。
我が師、シニフィアンシニフィエ志賀シェフの偉大なレシピで。
*ソラマメ
 蚕豆。これも季語の一つ。そして、もちろん旬。
オーブンでローストして、ちょっとしっかり目に塩コショウを。
チャバタの生地に入れて、焼きました。
獲れたての蚕豆って、皮をむいてしまうのがもったいないほどの美しいフォルムなんです。
次回までに、皮も使える新しいパンを考えたいなぁと思っています。
お味はどうかって??キンキンに冷えた白ワインが欲しくなるにきまってます。
以上8点。
このイベントでは、会いたいなぁと思っていた方々に、みんな会えてしまったような気がする2日間でした。
末永いお付き合いをいただくこと、間違いないと思います。
この出会いが、次なるヒヨリブロートを作り出していくことでしょう。
満月の夜に、不思議なパワーが引き寄せがご縁。
お越しいただいたみなさま、どうもありがとうございました。







2016年5月16日月曜日

*地元の食材 そら豆*

明日は地元丹波のそら豆を使ったパンを焼きます。
新緑をテーマにしたパンをいくつか。
皮も使えたらいいのにな。
そら豆を剥く時、いつも思うことです。

2016年5月12日木曜日

*丹波の魅力、自然がもりもり*

さて、これは何でしょうか。
はい。蜂の巣の基礎工事部分です。
なんと、今朝がた、ひとつの軒下に4件の新規工事が始まっているのを発見。
さっそく、蜂が出かけたすきを狙って、撤去作業しました。
3センチくらいの蜂の巣は、それはそれはかわいくて、なんだか壊すのが申し訳ないような気持でしたが、ここがシェアハウスといえども、蜂、しかも4件とのシェアは正直怖い。
先日、島根の友人のパン屋さんに小さな蜂の巣ができているのを見て、あぁ、田舎だなぁなんて思って、なんだかすいませんでした。丹波もできました。しかも4件。
東京に暮らしていた時には感じることのなかった、日々の発見が新鮮です。
これはあしなが蜂の巣ですが、これだけ蜂が元気に生きられる環境があるということは、もう少ししたら、丹波の地元のはちみつを使ったパンも作れるのではないかと、楽しい妄想をしています。
蜂に、撤去の犯人が私だとばれて襲われませんように。

2016年5月11日水曜日

*旅 2016年5月 島根県はんだ牛蒡 後編*

2016年5月の島根県はんだ牛蒡への旅のレポートです。出会いから、この牛蒡の魅力は前編にて報告しております。
ぜひ、ご覧ください。
後編です。
〈草抜き体験〉
さて、ここからが、体験レポート。
とりあえず、結果から。
やってみて残ったものは、悟りの境地と筋肉痛。
私がやらせてもらったのは、春に蒔いた牛蒡の芽の間に生える、小さな雑草たちを抜く作業。
写真の1枚目のようなかわいい小さな葉が、広々とした畑に整列しています。たぶん、1列の長さは50メートルくらいはあるでしょうか。それが、何列も何十列も続いています。
ではどうやって雑草を抜いていくのでしょうか。
答えは、簡単。一つ一つ指先でつまんでいくのみ!!!
なおかつ、大事なことには、牛蒡が気持ちよく伸びられるように、地面はふかふかにしてあるので、そのふかふかを維持するために、人間が歩けるのは、列と列の間の30センチのみ。
さっそく始めてみました。作業自体は、とても簡単ですし、ある意味誰でもできる作業です。
ところが、これは誰でもできるものではないということに、15分後には気が付くことになります。
牛蒡の小さな芽は、まだまだ弱いので、そっと指でどかして、その間にあるこれまた小さな草を指先で一つ一つ除いていきます。そして、体の体制は、固定。中学校時代に部活でやった、アヒル歩きというトレーニングを思い出します。
これはつらい。足がとにかくしびれ、強いさえぎるもののない日差しに、じりじりと背中が焼かれていきます。
ただ、続けていくうちに気が付いたことには、不思議なことに、元気そうな苗には、決まって寄り添うように雑草が生えていること。これはその土地のパワーがいいのか、牛蒡と雑草が何かの相互作用をしているのか、私にはまだわかりませんでした。
また、生える草にも性格があるということ。簡単に根こそぎ抜けるものもあれば、少し土の中まで指を入れたほうが抜けるもの、引っ張る方向が大事なものまで、いろいろありました。
なんて、一列目をやっているときにはそんな考察を得られたのですが、、、なんと一列やるのに、3時間かかりました。。。
最終的に3列やらせてもらったのですが、最後の一列で考えていたことは、人生論でした。さて、この列をやり遂げた時に見えるものは何だろう、と。
道の途中で前を向くと、まだまだ果てしなく長いゴールまでの道のりが、心を折らせようとしてきます。
そういう時は、これまでやってきた道のりさえも、振り返ると、なんだまだたったのこれだけかと、とてつもなくちっぽけに見えてくるのです。
そして、最終的にたどり着いたのが、無我の境地。その一本の草に意識を集中して、それを抜く。それだけに集中していきました。
さて、ゴールにたどり着いたとき、何を感じたのでしょうか。
終わったー!!という達成感?
もっとやれる。という向上心?
もうだめだー。というギブアップ?
どれも不正解。
あったのは、あ、終わったんや、という事実だけでした。
その一本を抜くことだけに集中していると、終わりは突然にやって来ます。
あれ?次の牛蒡の苗がない。ん?ということは終わり??ってな具合です。
で、そっと立ち上がって、あ、終わったわ。って。
なぜか、車へ戻る数分間の間、きっと人間の生もそういうものなんだろうということを考えました。死というゴールの先に何があるのか、なんて不安や葛藤やそれまでにどうしたい、こうしたい、なんて思うけれども、死んだときに思うのは、あ、終わった。という事実だけなんだろうなぁと。
だから、きっと今の一瞬に集中するしかないのです。私は結局、パンを日々焼くということを続けるしかないのだなぁと妙に冷静に思ったのでした。
が、実は終わっていなかったのです。車で家についてみて、降りたときに初めて気が付いたことには、まっすぐ歩けない。。。これが強烈な筋肉痛であるということに気が付くのに数十秒。
なぜかつま先立ちが一番楽な姿勢という、謎の状況にへらへらしてしまう現在です。
とにかく、これを何回も繰り返すことを当たり前のこととして続けていらっしゃる反田ご夫妻の愛情に脱帽です。尊敬とはこういう時に使う言葉です。
〈ヒヨリブロートのパンになるまで〉
2枚目の写真が冬にビニールハウスを使用して植えていた牛蒡たちです。ちょっとサトイモに似た大きな葉が特徴的ですね。
この牛蒡たちが収穫され始めるのが8月だそうで、ヒヨリブロートのパンとなってお目見えするのは9月頃を想像中です。
どんなパンになるのかって???それは、まだまだ先のお楽しみ。
出来上がった牛蒡を食べてみて、その時のインスピレーションでパンを生み出したいと思っています。
こうご期待。
〈スペシャルサンクス〉
反田家の皆さま
3日間に渡り、宿泊、おいしい食事、そして興味深い話の数々。
ありがとうございました。サトイモコロッケの味が忘れられず、息子さんたちとの触れ合いが興味深く、古民家での生活に大いなる刺激をいただきました。
どうか、また伺わせてください。
はんだ牛蒡のホームページはこちら!!!
http://handa-shizensaibai.jp/index.php

2016年5月10日火曜日

*旅 2016年5月 島根県はんだ牛蒡 前編*

ヒヨリブロートのコンセプトの一つが旅。
旅をして、生産者に会いに行って、その食材を使ってご馳走のパンを作る。
そのため、1カ月のうちの営業日は新月から満月を超えて5日間までの20日。あとの10日は旅に出て、生産者に会いに行きます。
まだ、お店の営業は始まっておりませんが、5月も旅に出てまいりました。
たくさんの出会いがありましたが、そのうちの一つ。最大の目的であった、自然栽培でごぼうをつくられている、反田ご夫妻のもとでの体験レポートを。
〈出会い〉
昨年の11月のことだったと記憶しています。島根県江津のこれまたすばらしいカフェ「風のえんがわ」に、訪れた際のことでした。
ちょうど、その頃から私の中での農業に対する興味関心が高まり、農家の仕事を見たい、体験したいと渇望していたその時でした。
そのカフェに、反田さんがちょうど訪れたのです。そこで、風のえんがわの店主と、島根でパン屋を営む友人と、一気に話がもりあがり、ゆくゆく、研修に伺いたいとお願いをしてその場を終えました。
そこから半年。ついにその機会がやってきたのです。
〈こだわり〉
はんだ牛蒡の最大のこだわりは、やはり自然栽培。
さて、自然栽培とは何なのか。
私が理解できた範囲ですが、ちょっと紹介してみます。
とても簡単に言うと、人工的に肥料、農薬を一切使わない農法です。肥料は、化学肥料だろうと、有機肥料だろうと、一切使いません。
つまりは、人為的に養殖ではなく、野生のごぼうを作るというのが一番イメージに近いです。
野生ですから、人間が餌をやることはしません。ですが、自然界で得られているような餌を、自然界で得られるような量、つまりは生きていくのにぎりぎりな質と量だけあげるのです。
では、どんな風に?
自然界では、どのように地面は養分を蓄えているのでしょうか。木から落ちた葉が、そこを通った生き物の糞が、虫や動物の死骸が、地表で朽ち果てて、その後、土に戻っていきます。
枯れ、朽ち果てたもの以外は、土に戻ることはない。これが一つのキーワードです。
反田さんの畑では、麦の種をまき、それを刈り、粉砕して、枯れた後に地面にすきこむという途方もない時間をかけて、土づくりをされていました。
農薬も肥料も使わないとなると、ほっておくだけでいいのかなぁと思ったら、大間違い。人間でいえば、薬も栄養ドリンクも使わずに、粗食で、よい肉体を作るということですから、どれだけ規則正しく、適度に体を動かし、健康的な生活を送るか、ということになりますから、想像の何倍もの気遣い、手間が必要になってくるのです。
〈はんだ牛蒡の魅力〉
では、自然栽培で育てた牛蒡の底力は何でしょうか?
まず、はんだ牛蒡は生でも食べられるほどに甘いのです。不思議なことに、変な雑味はまったくありません。私は、生で食べられる牛蒡に初めて出会った。
そして、太く、長い。それはそれは見事で、5センチほどの太さがあるものまであるのです。長さは1メートル30センチくらいはあるのではと思われます。
そして、そして、最大の魅力は、生命力が強いということ。
みなさん、冷蔵庫で野菜が溶けて水になっていった経験はないでしょうか?
実は、反田さんもその昔、有機肥料をたくさん使った農法をされていたんだそうです。で、ある日、牛蒡は収穫してから3か月後がオリゴ糖がのってきて、おいしくなるということを知りました。
ところが、その当時作られていた牛蒡は3カ月経つころには、水になってしまっていたそうなのです。
あれま。3か月後が一番おいしいって言うのに、自分の牛蒡は3カ月もたない。。。
そして、自然栽培に切り替えられてからの現在、なんと牛蒡は同じように保管してみると1年半たっても、ほとんど変わらない状態なのだそうです。
収穫したのちも、一つ一つの細胞に生命力があるからこそ、それだけ長い期間おいていけるのではないか。
これが反田さんが導き出した一つの答えなんだそうです。
前編はここまで。後編では実際に私が体験させてもらった事を紹介していきます。
また明日お会いしましょう。

*ヒヨリブロートの独り言 杉玉*

ここ最近、続けて3件の酒蔵を見学する機会に恵まれました。
同じ菌という見えないものの力を借りて、商売をしている身としては、興味はつきません。
パンは酵母菌、お酒は麹カビという、実は生態の全く異なる生き物の話なのですが、これはまた別の話。またの機会に話しましょう。
が、ひとつ気になることが。造り酒屋の軒先に見られる杉玉の存在です。
これは、今年のお酒を搾り始めましたよーというサインで、まだ青々としている杉を使った緑色の球をつるすのだそうですが、これが枯れて色が変わっていく過程で、飲み頃を判断するのに使うのだそうです。
お、ちょっと茶色くなってきたから、私の好みの頃だわーなんて具合でしょうか。
ですが、最近では、この杉玉を作れる職人が減っているそうなのです。確かに、なくてもいいものなのです。今や、新酒搾れました、なんてのはインターネットで簡単に公表できる時代なのですから。
でも、なんだかそれを寂しいと思う自分がいるのです。日本の一つの文化が消えていくのが寂しいと思うのは、理屈ではなくて、感情の部分がひきおこすものなのか。
家に飾ってもかわいいのかな。枯れてもずっとおいておけるし、そんな使い道はないのかな。
自分で作れないのかな。
作れる方がいたら、会って取材したいな。
さらには、習えないかな。
そんなことを、パン屋の開業の準備をする頭の片隅で思っています。
もし、情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご一報くださると幸いです。
〈スペシャルサンクス〉
見学させていただいた酒蔵です。
西山酒造場 兵庫県丹波市
http://www.kotsuzumi.co.jp/officialweb/
木戸泉酒造 千葉県いすみ市
http://kidoizumi.jpn.com/
古橋酒造 島根県鹿足郡津和野町
http://uijin.madbam.jp/